「失敗が怖くてなかなかチャレンジできない」
「カリスマ経営者と呼ばれる永守重信は、どうやって危機を乗り越えてきたのだろう」
永守重信は日本電産を創業し、世界一のモーター会社に育てあげたカリスマ経営者として知られています。零細企業から1兆円企業に成長するまで、様々な経営危機を乗り越えてきた彼の生き方を知ることはビジネスにおいて大きな学びになるでしょう。
そこで今回は、彼の生い立ちと、彼が重視している危機の乗り越え方をご紹介していきましょう。
この記事で紹介する内容は以下の3点です。
- 永守重信の生い立ちと日本電産の創業まで
- 幾多の危機を乗り越え、世界一のモーター会社に育て上げる
- 永守重信は、どのように危機を乗り越えていったか
Contents
永守重信の生い立ちと日本電産の創業まで
永守重信は年商1兆5000億円を誇る日本電産グループの創業者で、幾多の経営危機を乗り越えてきたカリスマ経営者として知られています。まずは、永守重信がどんな生い立ちで日本電産を創業したか紹介していきましょう。
ハードワーカーの母親の元で育つ
永守重信は1944年に京都府向日市で5人兄弟の末っ子として生まれました。実家は土地を借りて農業をする小作農家で、中学生の時に父親を亡くしてしまいました。しかし母親の努力で、最終的には近隣の田畑を人に貸す地主に上りつめました。
永守の母は誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで働くことで財産を蓄え、その財産で少しずつ近隣の土地を買い集め、最終的には人に土地を貸すまでに財をなしていったのです。
永守も多くの企業を買収し日本電産を巨大企業に成長させましたが、M&Aが好きな気質は、他人の土地を買い集めることで財をなした母親を見て育った影響かもしれません。
小学校の時に理科の授業で出会ったモーターに興味をもった永守は、職業訓練大学の電気科でモーターを学び、職業訓練大学校を主席で卒業すると音響機器メーカーに就職しました。その後、別会社の取締役に就任した永守は保有していた自社株が値上がりしたため、その株を元手として企業を決意。母親の反対を押し切って日本電産を創業しました。
母親の生き様そのままに、人の二倍働く
起業の段階で永守は最初の試練を迎えます。創業時に10名程度の仲間がついていくと言ったものの、実際には3名しか創業メンバーとして参画しませんでした。また、独立したら仕事を渡すといっていた取引先も離れていき、苦難の創業時を過ごしました。この時、永守は「1日16時間、土日も全て働き3年たっても結果が出なかったら諦めよう」と考え、母のように人の何倍も働くことで事業を軌道に乗せていきました。
幾多の危機を乗り越え、世界一のモーター会社に育て上げる
現在では世界トップシェアのモーター会社ですが、その道のりは危機の連続でした。ここでは、永守重信がどのように幾多の危機を乗り越えていきたか紹介していきましょう。
「情熱・熱意・執念」、「知的ハードワーク」、「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」の社訓
永守は母の働き方を見て育ち、自らも人の何倍も働くことで事業を軌道に乗せてきたため、ハードワークをモットーとした社訓を掲げています。自身を「ネアカ(根っから明るい性格)」と表現しており、どんなことにも良いことと悪いことがあり、状況が悪い時には執念で乗り越えていくことを良しとしていました。
時には神頼みも
ハードワークを自身と会社のモットーにしている永守ですが、1978年に日本電産が倒産の危機を迎えた際には、京都の九頭龍大社で鑑定を受け、「来年の節分には運命が変わるから形を継続するように」と助言を受けました。そして助言通りに経営を続けていると、翌年の節分の日に世界最大のコンピュータメーカーであったIBMから大量注文が入り、搭載の危機を乗り越え、その後急成長していきました。時には耐え忍び、好機を信じて待つこともまた重要です。
その後、優秀な技術を持つ会社が経営不振によって倒産の危機を迎えた際には積極的にM&Aを行い、世界最大のモーター会社として成長していきました。
生産性を2倍にし、最大の危機を乗り越える
2008年のリーマンショックは、日本電産にとって最大の危機と言えました。売り上げは半減し、毎月100億円の赤字を計上していたため、永守は倒産も覚悟するほどでした。しかし、この時も人の2倍以上働くことで事業を存続させることに成功しました。
ただし、この時は既に10万人規模の企業グループに成長していたため、自分だけが2倍働いても経営危機を救えません。そこで今回は労働時間ではなく生産性を2倍にし、損益分岐点を大幅に下げることで売上が半減しても黒字を出せる体制に切り替えてきました。
この永守の決断が功を奏し、売上が回復すると利益は倍以上になると更に成長速度を加速させていきました。
永守重信は、どのように危機を乗り越えていったか
幾多の危機を乗り越え、世界一のモータ会社となった日本電産。そのリーダーである永守重信は、どのように危機を乗り越えっていったかをご紹介していきます。
誰よりも情熱を持って働く
永守重信は代名詞にもなるほどハードワークを信条としています。休むのは正月の朝だけ、毎朝6時30分に出社し、1日12時間は最低でも働きます。(近年は、働き方改革に合わせて7時に出社しています)また、その情熱ぶりも有名で、仕事のあまり風呂にも携帯電話を持ち込んで打ち合わせをこなします。日本には有名な経営者が数多くいますが、永守のように「寝食を忘れて働く」という言葉が似合う経営者はそういません。幾多の危機も、彼が誰よりも情熱をもって働いたからこそ乗り越えられたのです。
「危機は必ず乗り越えられる」と前向きになる
永守は自ら「ネアカ(根っから明るい性格)」と評するほど前向きな性格で、危機は必ず乗り越えられると考えています。あるインタビューでも「危機ほど楽しいものはない。困難と出合うたびにそう思う。克服することで、会社がますます強くなるからだ」と語っています。
永守は前向きに乗り越えられると考えれば解決策も見つかると考えており、実際に何度も危機を乗り越えています。 危機に直面した時に、萎縮するか奮起するかで危機への向き合い方は変わってくるため、物事を前向きに捉えるように心がけていきましょう。
スミタイ向上委員長のまとめ
永守重信は一代で世界最大のモーター外車を築き上げたカリスマ経営者です。永守は、人の何倍も働くことで事業を大きく成長させていきましたまた、前向きな性格でどんな危機も乗り越えられると考えており、危機を乗り越えるたびに強い会社を作り上げていきました。
皆さんも、ビジネスにおいて様々な危機に直面することがあるでしょう。しかし、そんな時でも永守氏のような前向きさを持ち、危機に果敢に向かっていきましょう。最後に、記事に対する向き合い方について永守氏が回答したメッセージを皆さんに送ります。
「困難がきたって、どんなに無茶苦茶でも、その困難がちゃんと解決策をもってくる」
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