「長くプロとして活躍するためのポイントは?」
「カズのように、常にモチベーションを高めたい」
カズは現役サッカー選手の中でも最年長の選手で、日本サッカーの創成期からのスター選手として今なお多くの人気を集めています。
カズはアスリートとしての能力だけでなく、そのセルフモチベート能力やマインドセットなどビジネスパーソンからも注目されている存在です。
長くプロの第一線で活躍し続けるためには、フィジカル面だけでなく、メンタル面のトレーニングも重要です。そこで今回は、そんなカズの生い立ちや、カズが幾多の困難を乗り越える原動力となった「自分を奮い立たせる力」について紹介していきましょう。
この記事で紹介する内容は以下の3点です。
- カズの生い立ちと日本サッカーの隆盛
- 様々なチームでのキャリアと50代までの現役生活
- なぜカズは「キング・カズ」として成長できたのか
Contents
カズの生い立ちと日本サッカーの創成期
カズはかつて、マイナースポーツであったサッカーを日本を代表する人気スポーツに押しあげ、日本サッカーを世界に通用するレベルに引き上げたパイオニアです。そして50歳を越えて現役のプロ選手として活躍する様はまさに「キング・カズ」や「レジェンド」と呼ばれるにふさわしく、今なお多くの人々を魅了しています。まずは、そんなカズの生い立ちについて紹介していきましょう。
「進路はブラジル」と語った少年時代
カズ(本名:三浦知良)は1967年に静岡県静岡市で誕生しました。小学校に進級すると伯父が監督を務める城内FCでサッカーを始めると、いつしかサッカーの本場であるブラジルでのプレーすることを目標にしました。中学3年生の進路指導のときには進路を「ブラジル」と書くほどブラジルでのプレーを熱望していました。
中学卒業後、一旦は静岡県内の高校に進学したもののわずか8ヶ月で退学。そのまま15歳でブラジルに渡り、サッカーの武者修行を始めました。
言葉や生活習慣が大きく異なるブラジルでの生活は過酷を極めましたが、「俺はマラドーナやペレ(世界的なスター選手)のような選手になるんだ」という強い意志でユースチームでの練習に励み、18歳でブラジルの名門チームである「サントスFC」とプロ契約を結びました。
ブラジルからの凱旋とJリーグ開幕
サントスでのプロデビューを皮切りに、いくつかのチームを渡りあるいたカズは各地で活躍。日本人初のブラジル全国選手権への出場や名門サントスへの復帰などサッカー王国で活躍することで黎明期を迎えていた日本サッカー界からも注目されていました。
カズ自身も、日本代表としてプレーするためには日本のチームに所属することが有利であると判断し、1990年に読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)に移籍。1992年に日本年間最優秀選手賞を獲得すると1993年のJリーグ開幕でも年間MVPや日本年間最優秀選手賞、アジア年間最優秀選手賞を獲得するなど、日本最高のフットボーラーとして大きな注目を浴びました。そして「カズダンス」と呼ばれたゴールパフォーマンスを多くのサッカー少年が真似し、一躍日本を代表するトップアスリートとして認知されるようになりました。
1994年にはアジア人として初めて世界的なサッカーリーグであるイタリアのセリエAでプレー。その後も日本代表の中心選手として活躍し、プロ化がスタートしたばかりの日本サッカー界を牽引し、国民的スポーツに定着させたスター選手の一人として日本サッカー界に名を残しました。
様々なチームでのキャリアと50代までの現役生活
アジア最高のフットボーラーとしての評価を受けていたカズですが、黎明期の日本サッカー界はカズと共に成長していったと言っても過言ではありませんでした。
ワールドカップには出場できず
1993年に日本初のワールドカップ(W杯)出場を掛けたW杯アメリカ大会ではエースとして活躍。しかし、最終戦のロスタイムに同点に追いつかれ、W杯出場を逃した「ドーハの悲劇」によりW杯出場は叶わず、4年後の1997年フランスW杯では見事にW杯出場を決めたものの、本大会の選手としては選ばれませんでした。
カズはW杯出場を熱望していましたが、その後も代表選手としての召集の機会はなく、日本を代表するストライカーにもかかわらず、W杯のピッチに上がることができないまま今日に至っています。
様々なチームを渡り歩き、50代まで現役に
2000年代以降、サッカー選手としてのピークが過ぎたといわれていましたが、国内外の様々なチームを渡り歩き、常に主力選手として活躍。2020年に至るまで現役のプロサッカー選手として前人未到のキャリアを歩んでいます。2020年のJリーガーの平均年齢は25.72歳なので、53歳のカズは倍以上の年齢ながら未だに第一線に立ち続けていることになります。
なぜカズは「キング・カズ」に成長できたのか
一流と呼ばれるアスリートは多くいます。しかし、カズのように平成の30年間全てをプロ選手として活躍しつづけたアスリートはごく僅かです。ここでは、何がカズを「キング・カズ」に成長させたのかを紹介していきましょう。
「セルフモチベーション」で自分を奮い立たせる
カズは少年時代から自分のやりたい事に向かって一直線な少年でした。15歳で高校を中退し、ブラジルへ渡った際にも、言葉や文化が通じない異国の地にも関わらず高いセルフモチベーション能力で自分のモチベーションを保ち続けてきました。
これは、カズがサッカー好きであることだけでなく「一流の選手になるために、ここで踏ん張らなければならない」と自分に言い聞かせてきたからです。このように、困難な環境でも自分のモチベーションを高いレベルで保つことができるのがカズの強みであるといえるでしょう。
「カノッサの屈辱」でも自分を見失わない
日本が初めてW杯に進んだ1998年のフランス大会。多くの国民は予選で活躍したカズが本戦にも出場すると考えていました。しかし大会直前に代表から外れてしまい、これを「カノッサの屈辱」と呼ぶようになりました。
日本代表の絶対的エースであったカズが選考から外れるとは予想外でしたが、カズ自身は「自分で納得すべきではない。サッカー、それに自分の人生もそうだが、まだやり残していることがある。まだ日本代表の道も残っている」と切り替え、次の大会を目指してトレーニングに励みました。
プロとして最高のパフォーマンスを追求
平均年齢が25歳のJリーグの中で、40代で現役選手を続けられることすら稀です。そんな中で50代までキャリアを積み重ねてこれたのは、常に自分を奮い立たせてしっかりとトレーニングを積んできたからに他なりません。
カズは練習開始2時間前には練習場に現れ、練習後は4〜5時間かけて体のケアをしています。年齢による衰えがあったとしても、その年齢でできる最大限の挑戦を続けてきたからこそ、その年齢に応じた最高のパフォーマンスを発揮するための努力を惜しんでいません。
カズは「常に何かに挑戦していれば輝きは失われない。挑戦してその結果が成功だとか、失敗だとかではない。挑戦したときがもう成功といえるのではないだろうか」と考えながら、今日もピッチに立っています。
スミタイ向上委員長のまとめ
カズは日本サッカー界のレジェンドとして知られていますが、そのキャリアは常に自身の努力によって築き上げられてきました。
15歳でブラジルに渡って以来、常に過酷な環境でも自分を奮い立たせ、逆境にも負けずにサッカー選手としてのキャリアを持続するのは並大抵のことではありません。
しかし、自分の望むキャリアを達成するためには自分で自分をモチベートする場面も出てきます。その際には、カズのように自分を奮い立たせ、しっかりと目標を達成していきましょう。
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