「日々の退屈な業務を何とかしたい」
「主体性の重要さは分かるけど、主体性の身につけ方がわからない」
プロテニスプレーヤーは、毎週のように実施される大会の中でより上位のランクを目指します。その一方で、日々のトレーニングによって技術や体力向上に取り組みます。
一見すると退屈そうに見える日々のトレーニングですが、一流のアスリートは常に自分なりの目的意識を持って主体的に練習に取り組んでいます。
今回は、日本テニス界を代表する選手である錦織圭をテーマに、彼の生い立ちや主体性の身につけ方について解説していきましょう。
この記事で紹介する内容は以下の3点です。
- 錦織圭の生い立ちと、プロテニスプレーヤーになるまでの軌跡
- アジア男子歴代最高の世界ランク4位に上りつめる
- 錦織圭の「主体性の身につけ方」とは
Contents
錦織圭のプロまでの軌跡
錦織圭はどんな生い立ちで世界トップクラスのアスリートに成長したのでしょうか。ここでは錦織の生い立ちにからプロテニスプレーヤーになるまでのプロセスを紹介します。
小学生の時に松岡修造に才能を見出される
錦織は1989年に島根県松江市で生まれました。5歳でテニスを始めると、小学4年生で全国小学生テニス選手権大会に中国地方代表として出場。5年生の時にベスト8に入りジュニア関係者の間で注目を浴びるようになりました。小学6年生になると全国の優秀選手のみが集められた全国選抜ジュニアテニス選手権大会で優勝。この大会の準決勝を観戦していた元プロテニスプレーヤーの松岡修造に才能を見出され松岡が主宰する「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」で指導を受けました。
このキャンプによって錦織の才能が開花。3年連続の出場となった全国小学生テニス選手権大会では全ての試合をストレート勝ちして優勝。全日本ジュニアテニス選手権大会でも全試合ストレートの完全優勝を成し遂げ、テニス界の注目を浴びるようになりました。
日本トップクラスの選手に成長
中学生になると渡米し、アメリカにある国際テニス選手養成学校IMGアカデミーに留学。適応力や集中力、練習や試合に取り組む姿勢が評価され、盛田正明テニス・ファンドの援助を受けて世界各地でテニスをプレーするようになります。そして男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップに日本代表として出場すると、昨年11位だった順位を5位入賞まで押し上げ、中学生ながら日本の若手ホープに名を連ねるようになりました。
高校に進学後の2006年には全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たし、世間から注目されるようになりました。世界ランキングが日本人選手の中で10位にランクインすると2007年からプロに転向します。そしてデルレイビーチ国際テニス選手権でツアー初優勝。日本人男子選手のATPツアー制覇は師匠である松岡修造に続く2人目となる快挙でした。こうして、18歳で日本を代表するプロテニスプレーヤーに名を連ねると、世界トップランカーへの道を歩んでいきます。
世界ランク4位に上りつめる
若くしてプロテニスプレーヤーとなった錦織圭は、日本人の歴代記録を次々と塗り替え、アジア最高の選手に成長しました。そんな錦織の活躍を紹介していきましょう。
日本男子の歴代最高順位にランクイン
右肘の疲労骨折で2009年シーズンを欠場したものの、見事に回復した2010年にはATPチャレンジャーツアーで年4回優勝。2011年にはそれまで松岡修造が持っていたテニス男子世界ランキングの日本人最高順位である46位を大きく塗り替える30位にランクイン。スイス・インドアでは日本人として初めて世界ランク1位選手(ノバク・ジョコビッチ)に勝利する快挙を成し遂げました。この快挙により世界的にも注目されるようになり、トップアスリートとして更に成長していきます。
2012年に楽天ジャパン・オープン、2013年に全米国際インドアテニス選手権に優勝。毎年ツアー勝利をあげると2014年には世界最高峰のテニス大会であるグランドスラムで準優勝。世界ランキング5位にランクインし、2015年には世界ランキング4位、アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破を達成しました。
世界トップクラスのテニスプレーヤーとして活躍
錦織の快進撃は2016年も止まることなく、リオデジャネイロオリンピックでは日本代表として96年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得。年間勝率は世界3位となる58勝を挙げました。しかし、トップアスリートとして幾多の激戦を戦い抜いてきた錦織の体には多くの故障が見られるようになり、2017年には手首にある尺側手根伸筋腱の部分断裂によりシーズンを全休。2018年前半も不調が続きました。
怪我が癒えた2018年後半からは徐々に復調。2019年に3年ぶりのタイトル獲得や全豪・全仏・ウィンブルドンベスト8など完全復調の兆しが見えたところで右肘の手術を受けることを決意。残りのシーズンを全休することになりました。このようにここ数年は怪我との戦いに苦しみ、2020年には新型コロナ感染検査の陽性を発表するなど波乱の日々が続いています。しかし、今なお世界トップクラスのアスリートであることは疑いなく、今後の更なる活躍が期待されています。
錦織圭の持つ「主体性」
世界最高のテニスプレーヤーの一人である錦織圭の成長を支えてきたのが幼少期から備わっていた主体性です。ここでは彼の持つ主体性や、主体性を持つためのマインドセットについて解説していきます。
「自分で選んで、自分で決める」
錦織は小学校の頃まではテニスだけでなく、サッカーや野球、水泳などに取り組んでいました。両親は揃ってテニス好きでしたが、テニスだけをやることを強制せずに自分の意思でやりたいスポーツを選択させる教育方針でした。また、小学校時代にコーチを務めていた柏井正樹氏も練習内容をコーチが与えるのではなく、錦織自身に考え、選択させることで主体性を養っていきました。
マイケル・チャンのマインドセット
錦織を世界トップクラスの選手に押し上げたコーチの一人であり、アジア勢初のグランドスラム優勝者であるマイケル・チャンは、技術面よりも精神面での指導を重視していました。チャン「トップクラスの選手の戦いは、技術力の戦いではなく、マインドの戦いだ」という持論のもと、大きく分けて3つのマインドセットを錦織に伝えています。
1、自己認識について
・これまで自分が積み重ねてきた経験や実績を自信にしよう
・自分を信じる力を手にした君は、もう1年前の君ではない
2、練習に対する考え方について
・練習は、知識として学んだことを実践する機会。実践できて初めて知識が活かせる
・退屈な反復練習をさせるのは、プレッシャーがかかる場面や失敗できない場面でも迷いなくショットを打てるようにするため
・迷いがなくなると自信がつく。練習を積み重ねた自信の有無が勝敗を分ける
3、結果との向き合い方について
・勝ったときに謙虚さを、負けたときに潔さを身につける
・試合の時には自分で全て判断しなければならない。そして結果は自分が受け止めなければならない
・しかし、人間だから間違える時もある。常に正解を出さなければならないわけではない
どれも、アスリートだけでなくビジネスの世界でも通用する考え方であり、特に「練習に対する考え方」については日常業務に通じるものがあります。より大きな舞台で活躍するためには、日頃の業務に対する考え方や向き合い方を自分なりに持っておく必要があるでしょう。
スミタイ向上委員長まとめ
今回は、錦織圭の生い立ちと「主体性の身につけ方」について紹介してきました。テニスは技術もさることながら、メンタルも重要な要素を占めるスポーツです。ギリギリの攻防を勝ち抜くために必要なのは自信であり、自信を養うためには主体性に物事に取り組むことが必要です。
主体性を持って働くのと、主体性を持たずに働くのでは、結果が同じでも本人の成長度合いが大きく変わってきます。漫然と業務をこなすのではなく、自分なりの挑戦や新たな知識の実践の場と捉えることで、業務への向き合い方が変わってくるでしょう。
また、業務に対して主体的に向き合えるようにマインドセットできるかがマネージャーの腕の見せどころです。プレーヤーだけではなく、マネジメントに興味がある場合には、まず自らのマインドセットに取り組んでみましょう。その経験がいつかマネージャーになった時に役立つはずです。ぜひ挑戦していきましょう!!