「人材育成には興味がないから面倒だなぁ」
「効果的に人材育成をするためにはどうすればいいだろう」
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉は活躍しているビジネスパーソンであれば皆が知っている言葉です。この言葉を創ったのが時価総額9兆円を超える大企業であるリクルート社を創業した江副浩正です。
江副はビジネスの天才であると同時に人材育成の天才でもありました。そこで今回は江副浩正の実践してきた「人材育成のポイント」について紹介していきましょう。
この記事で紹介する内容は以下の3点です。
- 江副浩正の生い立ちとリクルート成長の軌跡
- 多数の経営者を輩出する人材育成の天才
- 部下や後輩を育成するポイント
Contents
江副浩正の生い立ちとリクルート成長の軌跡
まずは江副浩正の生い立ちや、リクルート社の前身である「株式会社大学広告」を創業した経緯やリクルート社の成長の軌跡を紹介していきます。
学生起業によって「求人広告」というビジネスジャンルを作りだす
江副浩正は1936年に愛媛県今治市で誕生しました。高校教師の息子であった江副は父親の転勤に伴って大阪や兵庫と住まいを変え、東京大学への進学を機に上京します。東京大学在学時には大学新聞を作成するアルバイトをしていましたが、多くの企業が東京大学の学生を採用したいと新聞広告への掲載を求めたことから求人広告の可能性に気づきました。
そこで在学中に企業求人だけを掲載した「企業への招待」というフリーペーパーを発行したところ大ヒット。商号を「株式会社日本リクルートメントセンター(後の株式会社リクルートホールディングス)」として求人広告というビジネスのジャンルを作りあげました。
リクルートを大きく成長させるも「リクルート事件」で第一線を退く
求人広告というビジネスジャンルを作り上げた江副は旅行や不動産、転職といったライフイベントに関わる業界に積極的に進出していきました。ライフイベントに関わる分野は多額のお金が動くため、投資に対するリターンが大きいと判断したためです。この時期はバブル期だったこともあり、売り上げは爆発的に増加。特に江副のビジネス手腕が大きく注目されることとなりました。
しかし、リクルート社が大企業に成長しても「新興企業」として異色の目で見られ続けていたことに対する焦りからか、江副は政治家や官僚との繋がりを求めるようになります。江副は政治的な発言力を高めるために未公開株を譲渡し、その売却益で関係者への利益供与をはかりました。こうして起こったのが企業による国内最大の企業犯罪であり贈収賄事件でもある「リクルート事件」です。
リクルート事件が発覚すると経営者である江副はもちろん、多くの政治家や官僚、経営者の関与が発覚。一大事件として報道され国内に大きな影響を与えました。これにより江副は逮捕され、ビジネスの第一線から退くこととなったのです。
多数の経営者を輩出する人材育成の天才
リクルート事件によってビジネスの第一線から身を退かざるを得なくなった江副浩正ですが、そのビジネス手腕は優れており、特に人材育成については天才的ともいえる才能を持っていました。そんな江副が人材育成面で残した成果を紹介していきましょう。
リクルート社の社訓がビジネス界全般に広まる
ビジネスパーソンとして活躍していれば「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉を耳にしたことがあるでしょう。実はこの言葉は江副が1968年にリクルート社のスローガンとして生み出し、社訓として採用されたものです。
この社訓は1989年にリクルート事件から再生するために新たな経営理念を掲げる必要があった頃から廃止されましたが、今でもリクルート社やリクルート関係者の中で大切な言葉として使い続けられています。リクルート出身の経営者が多いことから、リクルート社以外でもこの言葉が用いられるようになりました。
多くのビジネスパーソンが人生訓として用いていることからも、江副の理念浸透やマインドセットの手腕がいかに優れているかが分かるでしょう。
リクルート社が短期間で成長できたのは「自由な社風」の結果
リクルート社は江副の優れたビジネス手腕によって短期間に大きく成長しましたが、最も優れていたのが人材育成の手腕です。いくら優れたビジネスパーソンといえども、一人でできる仕事の量には限界があります。江副は、主体性のある優秀な人材を集め、自由に仕事をしてもらうことで企業と個人の成長スピードを大幅に高めていったのです。「企業の成長=個人の成長」という今では当たり前になっている考え方によって、成長意欲が高い人材が多く集まり、その人材が活躍して企業を大きくしていくというスパイラルを生み出して行ったのです。
特に集団での規律が重視されていた1970年代〜80年代にかけて、個人の自律性とコミットメントを尊重した企業風土を創り上げている点に江副のビジネスセンスが感じられます。
「30歳になったら起業する」という文化により多数の起業家を輩出
江副が在籍していた頃のリクルート社では「30歳になったら起業する」という文化が根付いていました。実際、新卒入社で30歳になると退職金が1,000万円支払われていたため、多くの若者が退職金を元手に起業家となっていきました。つまり、リクルート社では「30歳までに経営者が務まるほど成長しなければならない」という企業文化があったのです。
30歳までに一流のビジネスパーソンになるという目標がある若者の成長スピードは早く、多くの優秀な経営者が輩出されていきました。中には上場企業に成長する会社を創業した起業家も多くおり、江副の人材育成術が優れていたことがわかります。
部下や後輩を育成するポイント
江副浩正は優れた人材育成能力を持ち、多くの上場企業の経営者を輩出しました。ここでは江副が人材育成の際に意識していたポイントについて解説していきましょう。
権限やチャンスを与える
江副は「社員皆経営者主義」を掲げ、社員の意識を向上させました。多くの企業では「経営者意識を持て」と言われていますが、なかなか浸透していません。しかしリクルート社では「社員皆経営者主義」が根付いています。その理由が「権限移譲」や「機会の提供」です。
多くの企業では「経営者意識を持て」といっても経営者のような仕事をさせるわけではありません。しかしリクルート社では一人ひとりに権限を与えて自由に行動させます。自ら機会を作り出した社員に対してチャンスを与え、成長を促すサイクルによって「社員皆経営者主義」を定着させることが重要です。
「圧倒的当事者意識」を持たせる
リクルート社では社員が「圧倒的当事者意識」を持てるようなマネジメントが行われています。その端的な例が上司による声かけです。リクルート社では目標を設定する際に上司は「これだけの数字を達成しなさい」と命令せず「あなたはどうしたいのですか?」と聞きます。相手は自分の意思を言葉にして伝えるため、目標に対する当事者意識が芽生えます。
同様に、顧客や市場、消費者の動きも自分ごとと捉え、自分が顧客だったら何をしてほしいかを徹底的に考える習慣を身につけます。多くの会社では必要な数字から目標を割り出して一人ひとりに割り振りますが、リクルート社では本人にコミットさせることで「圧倒的当事者意識」を持って仕事に取り組むようにマネジメントしています。
スミタイ向上委員長のまとめ
江副浩正は「求人広告」というビジネスジャンルを開拓したイノベーターであり、リクルート事件の当事者であったことからも日本のビジネス界における功罪両面で多大な影響力を持つ人物です。
贈賄は決して認められることではありませんが、彼が発揮したビジネス手腕は誰もが認めるところであり、特に人材育成においては多数の上場企業の創業者を排出したことからもその優秀さが見てとれます。
部下や後輩が入社してくると「どのように指導しよう」と悩んでしまうかもしれませんが、まずは江副の取り組んだ「権限移譲」や「機会の提供」「コミットさせる」といった手法を取り入れてみましょう。適切なマネジメントができれば、部下や後輩だけでなく自分自身の成長に繋がります。ぜひ、人材育成に対しても「圧倒的当事者意識」を持って取り組んでみてください。
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