「苦手なことを克服する方法が知りたい」
「似鳥昭雄がどうやって苦手を克服したのか興味がある」
似鳥昭雄は、家具量販店の国内最大手であるニトリホールディングスの創業者であり会長です。わずか23歳で起業した彼ですが、起業をしたきっかけは苦手を克服することが理由でした。そこで今回は、似鳥昭雄の生い立ちや創業の経緯、苦手を克服する方法について紹介していきましょう。
この記事で紹介する内容は以下の3点です。
- 似鳥昭雄の生い立ちと似鳥家具店の創業
- 27歳の米国視察で経営者として「覚醒」
- 似鳥昭雄が苦手を克服した3つの方法
Contents
似鳥昭雄の生い立ちと似鳥家具店の創業
まずは、似鳥家具店がどのような経緯でニトリを創業したかを紹介していきます。
大工をしていた父親の姿を見て育つ
似鳥昭雄は1944年に樺太島で生まれ、終戦後は札幌に住んでいました。幼少期の生活は裕福とは言えず、引き揚げ者の集まる長屋に住んでいました。学校ではクラス一の貧乏家庭だったことや、勉強の成績が常に学年最下位に近くだったため、しばしばいじめを受けています。この頃、父・義雄は40歳で大工の修行を始め、自分でタンスや棚を作るようになり、幼い頃から身近に家具に接していた経験が後に活きるのです。
大学卒業時には父親がコンクリート製造業の会社を起業していたため、昭雄はまず父親の経営する会社に就職しました。学生時代から家業の手伝いをしていたので仕事をすること自体は問題がありませんでしたが、体調を崩しても仕事を休ませてくれない父親に嫌気がさして退社。バスの広告を取り扱う広告代理店に転職しましたが、軽い対人恐怖症だったため契約が1件も取れず、わずか半年ほどで解雇されてしまいました。
仕方なく実家の仕事に戻ったものの、自社の作業場から火災が発生した責任をとって辞職してしまい、進退窮まる状況に陥ってしまいます。
父の言葉を胸に23歳で起業を決意
父親の会社もだめ。サラリーマンとしての仕事もだめ。という状況で昭雄の胸をよぎったのは、幼少期に父・義雄から言われていたある言葉でした。勉強が苦手だった昭雄に対して義雄は「お前は頭の悪い人間から生まれたんだから勉強が苦手なのは仕方ない。だから人の2倍努力するか、人と違うことをやるしかない」と声をかけていたのです。
そこで人の2倍の努力をするのが苦手な昭雄は、人と違うことをしようと決意。この時、終戦によって海外から引き揚げてきた人が多かった自宅の周辺に家具店がないことに気づきました。そこで家族から100万円を借り、その資金をもとに似鳥家具店(現在のニトリホールディングス)を創業しました。
妻の支えで店舗運営を軌道に乗せる
創業当初は若い昭雄に対して家具を卸してくれる家具店が見つからず苦労し、対人恐怖症の気があったため接客もうまくいきませんでした。この苦境を支えたのが妻・百百代です。彼女が販売を担当し、昭雄が仕入れや物流に専念すると経営は上向き、順調に売上を伸ばしていきました。
この経験から役割分担をして、自分の苦手なことをカバーしてくれる人がいれば経営はうまくいくことを学び、後に「自分が販売上手だったらただの優良店で終わっていた」と回顧しています。
しかし経営が軌道に乗ったのも束の間、似鳥家具店の2号店を出店するとすぐ近くに大型の競合店が進出。資金繰りが悪化して経営が困難になる危機を迎えていました。
27歳の米国視察で経営者として「覚醒」
競合店との競争で苦境に陥っていた似鳥家具店。苦境に陥っていた似鳥昭雄は藁にもすがる思いで米国の家具店の視察ツアーに参加しました。この経験が、昭雄を経営者として覚醒させたのです。
米国の豊かさに圧倒され「米国のような豊かな生活を日本で実現したい」と決意
経営難を打開する方法を模索していた昭雄は米国の家具店を視察するツアーに参加しました。このとき「チェーンストア」というビジネスモデルを目の当たりにすることになります。現在では当たり前になっていますが、当時はどの店でも同じデザイン・品質・価格の商品を購入することができませんでした。また、大量生産による低コストの実現や統一感のある商品ラインナップなど日本にはない豊かさを目の当たりにし、「米国のような豊かな生活を日本で実現したい」と決意します。
チェーンストア構想を実現するためには、ある程度の事業規模が必要です。帰国した昭雄はすぐさま3号店を立ち上げる準備に取りかかりました。経営難の中での事業拡大はリスクといえますが、「豊かな生活を実現する」という社会的使命を自覚した昭雄は粘り強く金融機関や地主と交渉し、ついに3号店をオープンします。
幾多の困難を乗り越えて「ホームファニシング」ビジネスを確立
3号店がオープンして経営が順調に進んでいたものの、今度は社員の不正により経営状態が悪化しました。売り上げの横領や取引先から賄賂を得て販売価格を上げ、それにより客足が遠のいたのです。当時の社員は20人いましたが、そのうち15人が不正をしており、全員を解雇したことでわずか5人で経営を続けなければなりませんでした。さらにこの苦境を新卒採用によって乗り切ろうと考えていましたが、あまりの重労働低賃金により全員が離職。苦しい時期が続きました。
人材の採用や育成に関する失敗を挽回しようと1979年に役員とともに本州に赴いて採用活動を行いました。この時に後のニトリホールディングスの社長となる白井俊之を採用するなど、飛躍のきっかけを掴むことができました。
そして同年、家具の販売だけでなく住環境のトータルコーディネートができる「ホームファニシング」を掲げ、家具だけでなく日用品や生活雑貨までをトータルコーディネートできるビジネスモデルを確立したのです。
業界初の全都道府県進出を達成
生活が豊かになり、デザインが重視されるようになるとホームファニシングは大ヒット。1986年に「株式会社ニトリ」に社名を変更し、1988年に札幌証券取引所に上場するとチェーンストア構想とホームファニシングの両輪をまわす現在の体制を構築。2006年に道外進出を果たすと2010年に現在の社名「株式会社ニトリホールディングス」に社名を変更。現在では北海道だけでなく家具販売業界初の全都道府県進出を達成。次なる目は世界に向けられています。
似鳥昭雄が苦手を克服した3つの方法
名実ともに日本一の家具店を達成した似鳥昭雄ですが、現在に至るまでに多くの困難を克服してきました。そこで、昭雄が苦手なことと向き合った場合の3つの取り組みについて紹介していきます。
人と違うことをする
家業を飛び出し、転職先でもうまくいかなかった昭雄は、「人の2倍努力するか、人と違うことをしろ」という父の言葉を思い出して起業を決意しました。人の2倍努力することを選んでいたら、今のニトリホールディングスは存在せず、昭雄も有名経営者として脚光を浴びることなくサラリーマンとして生涯を送っていたでしょう。
人と同じ土台で戦う場合、努力の量がものをいいます。結果的により多くの努力を投入できる人が勝利する「我慢くらべ」の状況になります。努力を努力と思わない人であれば問題ありませんが、そうでなければやがて疲弊してしまいます。
しかし、人と違うことをすると、努力の方向性も変わってきます。自分の興味関心がある分野であれば努力を努力と思わない「天職」といえます。天職と巡り会うことができれば自分自身のキャリアはより良いものになっていくでしょう。苦手なことに直面しているのであれば、人と違うことに挑戦してみるのも方法です。
役割分担をすることで苦手なことを人に任せる
自分の苦手なことはもしかしたら、他の人の得意なことかもしれません。お互いに得意な分野で仕事をする方が効率はアップします。全ての仕事を自分で抱え込むのではなく、適切な役割分担によって苦手なことを任せることで、より自分の得意なことに集中できます。
ビジネスで成果をあげたいのであれば、得意なことに自分の時間と熱意を注ぐのは重要なことです。例えば営業職でも、チームや部署で話し合い、得意な業界ごとに役割を分担したり、契約書や請求業務を任せられるアシスタントをつけるというのも一つの方法です。
自分の苦手なことと向き合い、得意なことを伸ばせる環境を作り出すことが大切といえるでしょう。
ビジョンを持つ
昭雄は米国視察によって「日本の社会を豊かにする」というビジョンを持ちました。その後、どんな困難があってもこのビジョンを達成するためには苦手なこととも向き合わなければいけません。
ビジネスパーソンでも自分のビジョンを持つことは重要です。特に、将来的に経営者を目指すのであれば、今のうちから自分自身のビジョンを持ち、ビジョンを達成するために今何をしなければいけないかを考えて行動しましょう。
ビジョンを持っている人と持っていない人では、成長速度は段違いです。ぜひ、ビジネスにおける自分のビジョンを持っておくことをおすすめします。
スミタイ向上委員長のまとめ
今やホームファッションの分野で知らない人はいないほどに成長したニトリホールディングス。しかし創業者の似鳥昭雄の幼少期は決して順風満帆といえるものではありませんでした。しかし「人と違うことをやろう」と決意し、一歩を踏み出したことが今の成長に繋がっています。ビジネスのキャリアというのは、このような小さな一歩に大きなチャンスが詰まっているのでしょう。
今回は、苦手を克服する方法について解説してきましたが、苦手なことをやらないというのは逃げることとは違います。苦手な分野に関わらないようにするためには「どうやったら解決できるだろう」と現状の把握や交渉、環境の構築といった対処が必要です。苦手なことをしなくて良い環境を作ること自体一つの成長といえます。苦手なことがある場合には、ぜひ皆さんも「どうやったら解決できるだろう」という解決思考で向き合って見てください。
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