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博多一風堂創業者:河原成美から学ぶ「崖っぷちからの逆転方法」

アイキャッチ
スミタイ向上委員長
スミタイ向上委員長
「大きな失敗をしてしまった。もうダメかもしれない」
「人生逆転の方法を探している」
「有罪判決から大逆転した河原成美のエピソードが知りたい」

河原成美は25歳で有罪になってからビジネスを始め、大手ラーメン店『一風堂』を一代で育て上げた稀代の経営者です。今回は、河原の生き様や考え方を解説し「崖っぷちから逆転する方法」について紹介していきます。

この記事で紹介する内容は以下の3点です。

  • 25歳で懲役1年6ヶ月の有罪判決を受ける
  • ラーメン業界の常識を覆し、一気に業界屈指の人気店に成長する
  • 河原成美が崖っぷちから逆転できた理由

25歳で懲役1年6ヶ月の有罪判決を受ける

25歳で懲役1年6ヶ月の有罪判決を受ける

まずは、河原成美の波瀾万丈なキャリアを見ていきましょう。

4人兄弟の「落ちこぼれ」

河原成美は1952年に福岡県で生まれ、美術教師をしている父のもとで4人の兄弟の末っ子として育ちました。大学生の頃には役者を目指しており、卒業後の2年間は劇団にも所属していました。しかし役者として食べていくことができなかったため、帰郷して地元のスーパーに就職することになったのです。

長男はパイロット、次男は新聞記者、そして三男は彫刻家を目指して大学院で勉強しており、河原だけが目標を失った「落ちこぼれ」として鬱屈した日々を送っていました

商品の横流しで懲役1年6ヶ月の有罪判決を受ける

鬱屈した思いを抱えていた河原は、悪友と共にスーパーの商品の横流しを始めました。横流しした商品の総額は800万円にのぼると遂に事件が発覚。40日間の拘置所生活を経て懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の有罪判決を下されました

事件の際、警察署で河原の供述調書を見た父親は「教師として何百人も教えてきたが、たった1人、自分の子どもを教育しきれなかった」と涙を流し、警察に身柄を託しました。また、裁判に証人として出廷した際にも「全て私が悪いです」と涙ながらに訴えていました。そして、事件後には勤めていた高校を退職することになったのです。

この父の姿を見て河原は改心。執行猶予がついていたことから就職は難しいと考え、兄の友人がやっていた店の跡地を借りてレストランバーを開店しました。わずか6坪の小さな店でしたが、ここから河原の大逆転劇がスタートするのです。

ラーメン業界の常識を覆し、一気に業界屈指の人気店に成長する

ラーメン業界の常識を覆し、一気に業界屈指の人気店に成長する

25歳で有罪判決を受け、26歳でレストランバーをオープンした河原ですが、そこからどのように『一風堂』をグローバル展開する人気ラーメン店に育てていったのかを紹介していきましょう。

32歳で『博多一風堂』をオープンして業界の常識を覆す

河原の開業したレストランバーは「店は1日も休まない」「必ずお客さんの顔と名前を覚える」という努力によって繁盛店に成長。その中で女性客が「ラーメン屋には1人で行きにくい」と話していたことからラーメン屋を始めることを決意。レストランバーの経営を任せると1年間の修行を行いました。

そして1985年に『博多一風堂』をオープン。店内は女性が1人で入りやすいようにおしゃれでスタイリッシュな内装で、BGMはジャズでした。これまでのラーメン屋は「店が汚く店主が無愛想な方が美味しい」という業界の常識があったため「怖い・汚い・(油)臭い」つくりの店が大半でした。この業界の常識を覆した『博多一風堂』は大ヒットし、瞬く間に博多屈指の人気ラーメン店に成長しました。

3年連続日本チャンピオンを獲得し、全国区のブランドになる

豚骨ラーメンの本場である博多で屈指の人気店に成長した『博多一風堂』は1994年に横浜にオープンした「ラーメン博物館」に出店すると関東での「豚骨ラーメン」の知名度向上につながり、1997年には人気テレビ番組であった「TVチャンピオン」のラーメン選手権で3回連続で日本チャンピオンを獲得し、「豚骨ラーメン=一風堂」という認知度が全国的に高まっていきました。

2000年にはコンビニ大手のセブンイレブンとタイアップし、業界で初めて店名を冠したカップラーメンを発売すると、店舗のないエリアの顧客にも認知されるようになり、2008年にはニューヨーク・マンハッタンに出店。2017年にはマザーズに上場を果たし、2018年には上場からわずか1年で東証1部に市場変更し、ラーメン業界の最大手の1社に数えられる程の成長を遂げました

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河原成美が崖っぷちから逆転できた理由

河原成美が崖っぷちから逆転できた理由

一代で『一風堂』を全国屈指のラーメン店に育てた河原成美ですが、なぜ崖っぷちからの大逆転を果たすことができたのでしょうか。その理由を紹介していきます。

「やる」と決めたことに覚悟を持って取り組む

商品の横流しで有罪判決を受けた河原は、父親の姿を見て改心。役者の道をすっぱりと諦めて商売の道を極めることを決意しました。最初のレストランバーを開店するときに「3年間一日も休まない」「顧客ゼロの日は作らない」「30歳になる3年後に福岡一の繁華街天神地区に店を出す」「33歳までにもう1店出店し、35歳までに天職を見つける」という4つの目標を立てて店舗を運営していきました。

そして「天職を見つける」という目標以外は軒並み達成していったのです。(最終的には「ラーメン屋こそが天職」と、最後の目標も達成しています)このように、自分が「やる」と決めたことに覚悟を持って取り組むことが逆転には必要です。

100万円を払ってラーメン店で修行する覚悟

レストランバーが繁盛していた時期にもかかわらず、河原は新たな店舗を出すためにラーメン店で修行をすることにしました。この時、レストランバーの常連の父親がラーメン店の店主だったので「無給でいいから修行させてくれ」と頼み込みました。しかし、返答は「技術を教えるんだから100万円持ってこい」というものでした。普通であれば断って別の店を探すところですが、河原は100万円を支払ったのです。

この河原の覚悟を店主も認め、自分が持っているあらゆる技術を河原に教えていったのです。そしてこの時の修行があったからこそ、『一風堂』が大ヒットしたのです

スミタイ向上委員長のまとめ

スミタイ向上委員長のまとめ

今回は『一風堂』の河原成美から学ぶ「崖っぷちからの逆転方法」について紹介しました。河原は有罪の身になりながらも「商売で絶対に成功する」という強い覚悟を持って経営にあたり、『一風堂』をラーメン業界屈指の大手企業に成長させました。

仕事で成果を出すためには、河原のように高い志と覚悟を持ってがむしゃらに働くことが必要です。志がある人の周りには志を持つ人が集まるので、自分が成功したいと思うのであれば、志が高い人と一緒に仕事をするのが良いでしょう

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